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    わんずの写真。 ちょこちょこ追加して行きます☆

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2012年3月11日 (日)

1年が過ぎました。

震災から1年が過ぎました。

早いような、遅いような
今では以前と変わらない毎日を過ごしています。

今日の16時46分は
大会から帰宅した息子も揃って
一家みんなで黙祷しました。

夕食の会話は
やっぱり去年の日の事。

かえたんが膀胱炎になったり
しおんの貧血が不安定な状態だったり
停電で寒かったこと、
暗かったこと、
津波の被害状態をまったく知らなかったこと、
ガソリンがなかったこと、
いっぱい話しました。

家族の存在や、
当たり前の生活が
どれだけありがたいものか
こんなに感じたことはありません。

あの日…
母さんも父さんもいつも通り出勤。
息子もいつも通り学校。

それぞれ、違う場所で地震に遭いました。

母さんの迎えを
真っ暗な学校の教室で待っていた
当時6年生の息子。

家に誰もいない鍵っ子は学校待機。
次々にお迎えが来るなか、
先生と数人で残り
いつ迎えが来るのかと不安だったと思います。

学校も携帯も
電話も通じなくて、
安否確認できず、
私も息子の顔を見るまでは不安でいっぱいだった。

迎えに行った学校では
昇降口の鍵が閉まっていて
インターフォンも停電で鳴らない。
薄暗い中、覗いてみる下駄箱には
確かに息子の外ズックがあって
息子が学校に残っているとわかる。
校舎をぐるぐる回って
開いてる場所がないか確認した。

私に気付いた先生が
窓を開けて声をかけてくれて
無事に息子と会えた。

もう、安心して泣きそうだった。

停電でまっくら、
信号も、街灯もなく
住み慣れた街が
知らない街みたいに感じた。

さくら、こゆき、しずく、しおん、かえで、
そして息子。
みんなを守んなきゃって必死だった。

うちの中は
玄関の棚が外れて
物が落ち、ガラスの破片が散らばっていて
そのままでは中に入れない状態だった。
とりあえず大きな物だけ寄せて
土足でうちの中に入った。
しおんは、よほど不安だったのか
リビングの戸を引っ掻いて開けて階段をあがり
2階で吠えていた。
(わんずみんな2階に行ったかもしれないけど
母さんが帰宅したときは
ひとりでおりられないしおんだけ2階にいた。)

わんずが足を切らないように
抱っこして車に連れて行く。
暗い家にいるのがこわくて
みんなを連れて車に待機した。

車で待機していたら
父さんが帰宅した。

それだけで、気持ちが軽くなった。

車で待機せず、
家に戻るという父さん。

懐中電灯やランタンを出してきた。
ラジオにも電池を入れた。
カセットコンロを出し
お湯を沸かして
カップラーメンも作った。
寝室から居間に布団を移し
寝袋も準備、
みんなでまとまって寝ることにした。
靴は枕元に置いた。

さすがだったなぁ…。

夜のまっくらな暗闇に
ラジオから『遺体が発見された』と流れ
何が起きているのか、
その状況がまるで理解できず
怖くて眠れない夜を過ごした。

いつまで余震と電気の無い生活が続くのか、
不安だらけの震災当日。

それが私の3.11。

こんなに日本が大変なことになってるとは知らず
自分と家族の事で精一杯だった。

父さんが居なかったら
なんにもできなかった。

家族がいて良かった。
それも強く感じた。

実家の母も、父も、兄も妹も、父さんの実家ファミリーも
みんなが無事でよかった。

心配して連絡をくれる友達がいてくれて
とても心強かった。

私の住む内陸は大きな被害は無く、
困ったことといえばガソリン不足によるものがほとんどで
家を失うことや、家族を失うことは少なかったと思う。

沿岸の方の被害を知り、
自分が恵まれた環境に居るのが心苦しく感じた。

今もなお仮設住宅で寒さと闘い、
大変な暮らしをしている方がたくさん居て
一瞬で家族や家を失った方の悲しみを思うと、
忘れられない日だけど、
忘れてはいけないし、
時が過ぎても、忘れられないようにしたいと思った。

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