ゆうとの一周忌。
ゆうがお星さまになって、1年になりました。
ゆうとのお別れは、
お別れの選択は
とても苦しいものでした。
病院の酸素室で
苦しみながら生きるゆうとに
私は『安楽死』という決断を
なかなかできずにいました。
『ゆうとを殺すことはできない』
だけど、わかってもいました。
『殺すのではなく、楽にしてあげることだ』とも。
医師は、良くなる可能性もなく
目の前で苦しんでいるゆうとが
かわいそうだと言いました。
それも、わかっています。
だけど…キセキが起きて
良くなるかも知れない
その気持ちも諦めきれませんでした。
医師と、愛護団体の代表と、ジャガビー☆父さんは
話し合った後
ゆうとの安楽死を決めました。
最後まで泣きっぱなしの
母さんでしたが、
覚悟も決めました。
だけど、
父さんと病院に向かう前にゆうとは息を引き取りました。
母さんが苦しめてしまった。
ひとりで逝かせてしまった。
前の日のお見舞い、
眠ってるゆうを起こさず
そっと帰ってきたけれど
一瞬でも酸素室から出して、抱き締めてあげればよかった。
後悔ばかり、泣いてばかり。
ゆうは8月に東京に戻る予定でしたが、
それが決まった頃から
容態が悪くなり、
結果的に、私の側で天使になりました。
もしかしたら、
もっと高度医療でゆうとの病気が
良くなったのかもしれません。
けれど、移動のからだの負担というリスク
ゆうとが耐えられたのか、わかりません。
友達が言ってくれました。
『ゆうとはジャガビー☆さんちに居たかったんだよ』って。
『ジャガビー☆さんを悲しませないために、ジャガビーさんが病院に着く前にゆうとは自分で決めたんだよ』って。
その言葉に、どんなに救われたか…。
いまも、まだゆうの写真を見ると苦しくなります。
たくさんの後悔と、
もっとこうしていたら…そんなことばかり
もやもや考えます。
ゲージから、
いつもまっすぐな目で母さんを見つめる子でした。
パピーの匂いと、
痩せ細った筋肉のないからだ、
すべてがゆうだった。
だいすきだった。
ゆうとには
たくさんの方の応援がありました。
ご支援もいただきました。
たくさんの方に支えられて、ゆうとの限られた命を濃いものにできたと思っています。
いまも、気持ちの整理がつかず
納骨できず
ゆうもじゅーも、
リビングで過ごしています。
支えてくれる友達、家族、ありがとう。
ゆうとを思い出してくれてありがとう。
ゆう、
ずっとずっと大好きだよ。
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コメント
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ゆうと・・・
私も大好き・・・
投稿: ももか | 2010年9月14日 (火) 11時41分
ももかさんへ
ゆうのこと、憶えていてくれてありがとう
頑張って生きたあのこが、ココロに生きていてくれること、
すごく嬉しいです
投稿: ジャガビー☆ | 2010年9月23日 (木) 22時17分